27歳で独立→倒産寸前からシンガポール・カンボジアへ海外進出!事業への想いとその原動力とは!?(後編)
#9 Junichiro Yano / KATANASHI Inc.
今回のゲストは、東南アジアの喧騒と熱気が渦巻くカンボジア・プノンペン、日本やシンガポール、台湾などアジア各国で飲食店を展開する起業家、Yano Junichiroさん。 彼の物語は東南アジアでの新たな挑戦へ。 仲間と共に立ち向かった幾多の壁。次世代への熱い思いに迫ります。今回は前編&後編の二部構成でお届けします!将来の海外起業家やビジネスオーナーの方にとって、実践的なアドバイスやインスピレーションがたくさん詰まっています。
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目次
Q. 日本での起業について教えてください。
上海生活が終わり、そのまま日本に行って、当時は上海にまた戻ろうと思ったんですけど、
東南アジアで飲食店はどうしても学歴がない人の働く対象に発展途上国だとなってしまうので、そうではなくて、学歴がなくても、しっかり一生懸命働けばこれだけ稼げて、親に仕送りできるんだよ、ということを自分はライフワークとしたいなと思いました。
その前提でちゃんと商売して、自分もご飯食べていかなきゃいけないし、商売を成立させなきゃいけなかったので、まずは日本で商売を成立させて、その上で自分のライフワークに組み込んでいくという段取りを 組もうと思いました。
日本に着いたのが27歳の誕生日の1年と2、3ヶ月くらい前だったんですけど 、そこから独立を目指してやろう という感じでした。
最初は目黒区の学芸大学というところで、日本で働くのはどういうことかというのも含めて、1年間、日本でどこかでお世話になって働いてから独立を目指そうとしていました。そこでお世話になったお店が自由が丘だったんですね。独立するときも自由が丘の沿線 東急東横沿線がいいなと思って、少し時間ができた時に 各駅降りていって 自分が住みたい街でまず始めようというので、渋谷から武蔵小杉までの間に1個ずつ全部駅を見ていって、学芸大学いいなと。
両サイドに商店街が伸びていて すごくアットホームな街だなという印象で、この辺で物件があったので、そのまま27歳のときに雑居ビルの3階が開いたので、すぐ契約させてもらい スタートしていった感じです。

Q. 日本で起業するにあたって何か苦労されたことはありますか?
すごく苦労したというか今まで繁盛店で働いてましたし、自由が丘で1年働らかせてもらった時も もちろん大繁盛店のお世話になっていたので、「自分がやれば絶対繁盛店になるじゃん」というどこか過信があったんですよね。忙しくなるのが当たり前じゃんみたいな。そんな甘くないですよね。何もない自分がやったって誰も来るわけがないので、オープンして1日1人しか来ないとか 毎日本当に暇で、個人の口座も会社の口座も、ほとんど10万円とか切っていたりして、初めてこんなに「経営って こういう風に考えなきゃいけないんだ」とか「みんなの給与どうしよう」とか、半年くらいは地獄を見るというか、毎回毎回行き当たりばかりなんですよ。上海行って感化されて、これやるとか。とりあえずやってみるしかないみたいな性格なんで 、本当はもっと準備して、市場調査して、マーケティングしてってやるんでしょうけど、そういうこと全く分かってなかったので、「俺の料理はうまいし 、(客が)入らないわけないじゃん」みたいな感じだったんですよね。
Q. そこからどうやって乗り越えられたのでしょうか?
今の日本で競合が増えてさらに環境が厳しくなっている状況で当てはまるかどうかわからないですけど、やっぱり「愚直に真面目にやる」っていうことが 一番のお客様に対するアンサーかなと思うんですよね。なので本当に丁寧に、「お客様に喜んで帰ってもらう」例えば、入り口の外までお見送りをして お客様が見えなくなるまで手を振るとか、ありがとうねって本当の自分の心の気持ち。お客様が喜んで帰ってもらうから 僕たちご飯食べれてるので、全面的に毎日お客様に伝わるようにしていれば、自ずとお客様はまた来てくれるし っていうのでリピーターが増えていって、気づいたらなんかすごい売り上げついてたよね っていう感じでした。なので、やるべきことを一生懸命楽しくやったっていう感じです。
Q. 海外店舗オープンまでの流れをお話ししていただいてもよろしいですか?
創業からメンバーにも僕の上海の生活と、ゆくゆく将来的なそのライフワークの部分は 会社としてのミッションでもあるっていうことは 伝えていて、海外に挑戦していくという過程の中で、僕が上海にいる時に思ったことを表現していくのかってなった時に、やっぱり海外とか発展途上国に対する知識経験があまりにも乏しい。色んなところに視察はいったんですけど、まだすぐポンといってできるかどうか わからなかったので、当時も東南アジアでもトップを走っていたシンガポールに 行けば、その周りの発展途上国、カンボジアだったりタイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、フィリピンなど情報がものすごく入ってくるんじゃないかなっていうのを 肌ですごく感じたので、まず東南アジアに行くためのベースとなるために、ワンクッションでシンガポールにまず進出しました。その2年後にシンガポールで得た知識経験と、カンボジアを含め色んな視察をしてカンボジアを選ばせてもらってという流れですね。
Q. 海外で現地の方を採用されたときに苦労されたことはありますか?
シンガポールは発展途上国に行くための ステップだったので、当時でも日本と状況が 似ていて、少子高齢化で 若い働きがどんどん減っていってるというのはあったので、飲食で働く雇用を生み出すというのは日本と同じだけの苦労がありましたね。外国籍だから難しいということはあまり感じたことはないですね。もちろんそれは個の合う合わないもありますし、言葉の壁とかもあると思うんですけど、そもそも雇用が難しいというのがあったので、そこにはすごく悩みましたね。雇用をしてしまえば、僕たちの考え方としては ズゲズゲと心の底まで入っていくので、それが合うか合わないかの範囲だと思うんで。
(面接の時に必ず聞いている一言とかありますか?)
面接の時は基本的には「会社の理念に賛同できるかどうか」。これが嫌だったら絶対ここでは働かないでくれということと、僕はこういう気持ちでやってるんで、それに対して一緒に頑張ろうねと伝えてます。スキルとか経験は問わないで、やりたいことがマッチしているのと会社の理念がマッチしているのかということですね。

Q. 型無(カタナシ)という会社名はどういったお気持ちで付けられたんでしょうか?
会社名は上海に住んでいる時に、すでにストーリーができてて日本に行って日本から東南アジアぬに行くぞと思っていたので、その時に妄想して「会社名何にしようかな」と考えたんですよ。当時中国にいるから漢字ってやっぱかっこいいよねとか、そういう風に盛り上がって、A型B型の「型」に「何もない」「なし」で「型無(カタナシ)」。
「型無」は基本原則一つの考え方としては、お客様に喜んで帰っていただくということが大きいテーマなので、「型にはまることなく、お客様が喜ぶことを最優先」の型にはまることなくの「型無」。だから自由度高く、メンバーにはしてほしくて、チェーン店でもないので、うちは接客サービスマニュアルというのは基本の一部しかなくて、あとはそんなにないんですね。お客様にどういう風にビールを提供するかというのも、ガチガチにマニュアルでこういう風に出すっていったら、全員その形になると思うんですよ。それはそれですごく素晴らしいし、統一されたサービス環境ではあるんですけど、その子が「このお客様に喜んでもらいたい」っていうのは 全部個性が失われるなと思うんですよね。「さあ来ました美味しいキンキンの生ビールです!」ってやりたいスタッフもいるわけじゃないですか。そういう風に自分が好きなように、「どうやったらこの一つの商品をお客様に提供する・作るで喜んでもらえるか」というのを自分で考えて行動することに、すごく価値があるので、型にはまってほしくないなっていうので「型無」になりました。
Q. Junichiroさんにとって影響を与えた人物はどなたでしょうか?
たくさんいますけど、まずは月並ですけど 両親というか父親の影響は大きくて、本当に幼少期に僕をカナダに連れてってくれた っていうことが大きいかなと思います。もともと僕そんなに心も強くないですし、AとBという選択肢があると、必ず易しいほう・甘いほうに行ってしまう性格は自分でよく分かっているので、それをカナダで生活することによって、自分を律しなきゃいけないんだとか、厳しいほうを選べる感覚を持てるようになっていったのは、きっとカナダに僕を連れ出してくれた父のおかげだと思うので、父は(影響を与えた)一人かなと思います。
あとはバンクーバーの居酒屋で働いていたときの師匠。今でも兄貴なんですけど、師匠は本当に僕を飲食業を好きにしてくれたので、やっぱり「好きこそ物の上手になれ」。 好きじゃないと商売ずっと続かないと思うので、飲食業を好きにしてくれた、この世界に僕を引き込んでくれたことに関してはすごく感謝しています。居酒屋に行って面接したときに、僕のこと2回くらい落としてるんですけどね。19歳くらいでサングラスつけて、バイクのヘルメット持って「面接お願いします」って入ってたらしいんですよ。ちょっと記憶ないんですけど。師匠からしてみたら「こんなやつ絶対採用しないよ」って感じだったらしいんですけど、そこからはありがたいですね、全部叩き直してくれましたね。


Q. 起業したての頃の自分に伝えたい言葉はなんでしょうか?
「挫けるな」「大丈夫、諦めるな」
2回ほど僕も起業した後に、本当に苦しくて全部やめようと思ったことがあったので、それを乗り越えて、なんとか今があるんですけど、大変なことがあっても諦めるなよ、大丈夫だからねとは言っておきたいですね。
Q.苦しかったことなんでしょうか?
一つはコロナ禍ですね。飲食業なので、かつ日本から出れなくなり、海外のお店が行けない。遠隔だけで「これは大変なことになったぞ」っていう時に、カンボジアのマネージャーが、すごい嬉しいことなんですけど、ちょうどその前に結婚して妊娠したと。「おめでとうございます!ちょっと待ってコロナで行けない。彼女何ヶ月も休むってなると店回らない。詰んだ」ってなっちゃったんですよ。「どうしよう」ってテレビ電話で話した時に、「大丈夫です私の方でやっておきますから」 、「無理無理。だってお腹大きくなるじゃん。」「もう休んでくれ」ってもちろん言ってるんですよ。結局生まれる1週間前くらいまでお店にいて、生まれた後3週間くらいお店に帰ったんですよ。
もちろん途上国なんで補助金一切ない中で、お客様も足が遠のいたり、強制的に3週間国から休業指令が出たり、ギリギリのとこまで来てたんですけど、彼女がいなければ絶対潰れてましたし、 コロナにはなかなか鍛えてもらえたという感じがありますね。
Q. 座右の銘について教えていただいてもよろしいですか。
座右の銘、ないんですよね。僕もいろんな本を読んだり、いろんな人の話とか聞いて、座右の銘をいつも考えるんですけど、「ないな」って思って、かっこいいこと言えないなって思って、それが「型無」かなって思ってるんで、そのとき感化されたりとか、心に震えたところに、自分の本当の信念があるっていう生き方のほうが性に合ってるのかなと思うんで、座右の銘はなしにして、そのとき頂いた言葉が僕の座右の銘になっていくっていうスタンスにしてます。

Q. これからの目標や夢について教えてください。
もちろん商売として自分たちがご飯を食べていくという大前提なんですけど、僕のライフスタイル、上海から繋がっている僕のずっとやり続けたいということは、この東南アジア、カンボジアで飲食で働いてる子たちは、うちのメンバーも全員田舎から来てるんですけど、その子たちは家に仕送りをする、そして自分たちを食べさせていくために、この街に出てきている。うちのマネージャーも9人兄弟の8番目とか言ってたかな。お兄ちゃん、お姉ちゃんとかみんながお金を稼いで、お父さん、お母さんを支えたりしながらやってるっていう状況下で、彼ら彼女たちが仕送りができて、ご飯が食べれる、適正な補給金をいただいてやれるっていうことが、すごく素晴らしいと。まだまだ飲食が地位が低くて、学歴がないから飲食なんでしょっていうのは、どうしても周りから見られがちなところを、飲食って素晴らしい仕事ですし、ちゃんとお金も稼げるんだよっていうのを堂々と、一緒に働いてるメンバーが胸張って言えるっていうのを、一軒でも多く、一人でも多く増やしていくっていうのを ライフワークとしてやっていくっていうのが、これからの50年くらい自分がやりたいことかなという風に思ってます。

海外起業を目指しているかたに向けて今からしておいたほうがいいことはありますか?
「今すぐ飛行機に乗ること」が大切かなと思うんですよね。すぐ何かできるとか、何かしろっていうわけではなく、僕は上海で思ったのは、自分で肌で感じて見たから、すごく心が震えたっていうのもあるので、いくらテレビ見てとか、ラジオで聞いて、本で読んであって、分からないことが山ほどあって、実際にその環境に行った時に「こうなんだな」、「この人たちはこういうことを求めてるから、じゃあ俺これやろう」とか、そこで出てくるアイディアとか想いっていうのが、 一番最優先されるべきだと思うので、 もし本当に海外でやってみたいなと思うなら、その対象となる海外に少しでもいいからアルバイトでも何でもいい、お金を貯めてチケット取って、1週間でもいいから飛んでくる。自分で一生懸命、自分の足で回るっていうことが、一番起業への近道だと思いますし、本当に現地の人たちが求めてるものっていうのを把握できると思うんですよね。
海外起業を目指しているかたに特に伝えたいアドバイスをお願いいたします。
アドバイスというか海外に行きたいとか、やりたいって思ってるんだったら、絶対僕はやった方がいいかなと思っています。語弊がないように言うと、僕すごい日本好きですし 愛国心もすごく強いですけど、それでも日本って今、少子高齢化でこれからどんどん人口減少していく。なんなら去年、平均年齢が50歳を超えたっていう日本の中でやっていくには、めちゃくちゃ狭いというか、縮小していく世界観がある中で、 「1億2000万分の1の日本人」だと捉えるよりも、「80億分の1の地球人」という捉え方をすれば、どこの国に行ったって商売はできるし、どこの国に行ったって過ごすことはできるかなと僕は思うので、それならばすぐ「80億分の1の地球人に自分はいるんだ」と考えていくと、簡単に海外にいけるんじゃないかなと思うので、世界というか隣の県に行くぐらいの感覚で起業していったり、やりたいことをやった方がいいんじゃないかなとは思います。

本日はありがとうございました!
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| 会社名 | KATANASHI Inc.(株式会社型無) |
| 代表者 | Junichiro Yano |
| 所在地 | 〒210-0006 神奈川県川崎市川崎区砂子2-7-6 3F |
| 電話 | 044-221-7220 |
| Webサイト | https://katanashi.com/ |
| 事業内容 | 日本・カンボジア・シンガポール・台湾での日系居酒屋経営 |
| 店舗案内 | https://katanashi.com/store/ |
