“明日食べるご飯”が夢だった。|カナダ・中国・東南アジア。世界を渡り歩いた居酒屋経営者が学んだ人生の本質とは!?(前編)
#9 Junichiro Yano / KATANASHI Inc.
今回のゲストは、東南アジアの喧騒と熱気が渦巻くカンボジア・プノンペン、日本やシンガポール、台湾などアジア各国で飲食店を展開する起業家、Yano Junichiroさん。 言葉も文化も通じない土地で、あらゆる困難が立ちはだかる中、なぜ彼は挑戦し続けるのか。その挑戦の裏にある想いや葛藤、誰も知らない人生のストーリーに迫ります。今回は前編&後編の二部構成でお届けします!将来の海外起業家やビジネスオーナーの方にとって、実践的なアドバイスやインスピレーションがたくさん詰まっています。
目次
Q. 最初に自己紹介をお願いします。
18年前に日本で起業して、現在は日本とカンボジア、シンガポール、台湾で日系居酒屋の経営をしています、Yano Junichiroです。今は日本で3店舗、シンガポールで2店舗、 カンボジア3店舗、台湾1店舗関わっています。
Q. 生い立ちからお伺いできればと思います。
日本で一人っ子で生まれて、小学校6年生までは普通に日本で野球少年をしていたんですけど、 中学1年生から自分の人生が変わり、急にカナダに住むという幼少期を過ごしました。
(子供の頃はどんな子供でしたか?)
小学校の時は活発で、何でもそこそこできる、元気で明るかったんですけど、 14歳からカナダに引っ越して、現地の学校に入った時からすごく「根暗」になったんですよ。 父の教育の方針で、現地の学校に入り、全く英語が分からず、 右も左も分からず、いじめられていることすらも分かっていない状況だったので、 14歳って多感な年齢もあるので、父とか母にも、 「今日楽しかった」って聞かれると、全く面白くなかったんですけど、「楽しかったよ」って言うしかないという状況で最初の1年くらいは過ごしてました。
そこで僕のマインドもマイナス思考になり、 あんまり誰とも接しない家の中で一人で過ごすという時間が多くなって、 性格がそういう風に形成されていったかなという感じですね。一番大変だったのは半年ぐらい経ってから、 なんか俺、いじめられてるっていう自分で認知してからが本当にすごく辛くて苦しかったかなと思います。


Q. そこからどうやって乗り越えられたのでしょうか?
実際に僕の人生の中でも大きく2つ、人生のターニングポイントがあって、 もちろんそのうちの一つがカナダへの引っ越しでした。 いじめられてる期間を経て、もちろん子供なんで、仲良い友達も出来てくれば、 あと言葉も若いんでそれなりに喋るようになってきて、楽しい学生生活を過ごし始めてきたときに、 日本とカナダの教育の方針の違いによって僕はすごい育てられたなっていうふうに思ってるんですね。
僕の時代のカナダって、学校の中に喫煙所がある時代だったんですよ。もちろん自分の感覚だと、 「先生がタバコ吸うんだろうな」と思うんですけど、 喫煙所の前を通って中見ると、先生と生徒が一緒にタバコ吸ってるんですよ。 「あれ?カナダってタバコ何歳からなんだろうな」と思うと、カナダの学校って、 小学校は7年生で先生がしっかり子供の道徳まで管理するけど、8年生から12年生のタームは「一人の男」、「一人の女」ってみなす学校の教育方針があるので、 単位を取るのもどの順番でもいいですし、自分が考えて好きなように過ごせるような日本の大学的な要素があったので、 例えばタバコを吸うのも「それは君の問題だよ」と。 先生としては勉強を教えるのが僕の仕事だからっていうのが先生の言い分なので、 タバコを吸いながら「先生の子供元気?」とかいう話を普通にしているっていう環境を見たときに、 「日本とは全然違うなぁ」と。 衝撃ですよね。
単位もバラバラなんで、数学苦手な人は後から取るとなると、 僕が14歳とかで一番レベルが低い数学の授業とかにいると、 隣に17歳、18歳のお姉さんが同じ単位を取るために授業を受けたりしているので、 そういう日本じゃありえないような環境にいることが、大きく僕を成長させてくれたと思います。

Q. カナダの学校生活や教育方針が与えた影響とは何でしょうか?
一番大きいのは、そういう環境にいると自分の将来をどうしようとか、 自分に対しての将来のビジョンを考える時間がすごく与えられたのかなと。 もちろん日本もすごく素晴らしくて、団体行動、集団行動、体育祭があって音楽祭があって、 「集団の心理」としての勉強をするんですけど、「個人としての考える時間」というのは少ないかなと思います。
カナダだと「個人としての教育」がすごく強かったので、 本当に日本でいう高校3年生の時には、僕の友達が「将来こういうことをしたいからこういうことを勉強する」とか、「こうなりたいからこの専門に行く」、もしくは「こういう大学に行く」 「僕はこれやりたいから就職する」とか、ほとんど決まり始めてたんですよ。僕全くなくて、そこが日本人感覚ですよね。
これも後から日本で若い子達と話したりするときに、 「高校3年生の時に夢あった?」と聞くと、ほとんどの子がなくて、 (夢が持っているのは)大体10%くらいだったんですよ、僕の調査だと。それが今の日本なのかなっていうのをちょっと感じてます。 カナダだと高校3年生の年代の18歳くらいで、 みんな「一旦これをする」という夢と目標を持って動き出しているので、 ちょっと僕は焦っちゃったんですよね。 もう遊んでいちゃダメなんだみたいな。
すごい困り果てて、18歳になる年ぐらいに、僕はもうすでに単位をほとんど取れていなかったので、 卒業できないっていうのが確定状態だったんですよ。 なので「もうどうしよう」と思って、 父と母にその時に相談して、 「僕ちょっとこのまま学校にいても何もならないし、 家を出ます」とお願いをして、 一人暮らしを始めました。
Q. 一人暮らしの生活はどうでしたか?
本当に見切り発車だったので、 友達とか知り合いのツテのところでシェアルーム入ってたんですけど、 もちろん家賃をその子に払わないといけないというときに、 「来月の家賃どうするんだろう」とか、 移動してからそこから悩み始めて、 「働かなきゃ食べていけないんだ」という認識しました。
ただ何もないですよね、学力ゼロ、資格もないので、 どうやって働くんだろうというときに、 唯一強みがあるとしたら、「日本人で日本語が喋れる」というのが、 カナダのバンクーバーで、 少し他よりかは強いのかなというところで考えたときに、 街を歩いてると、 「Sushi」「Tempura」「Teriyaki」という文字が目に入ってきて、「日系飲食店だったら雇ってくれるんじゃないか」というのが僕の飲食人生のスタートでした。
高校を卒業できないかもしれないという、 そういう状況がなかったら、別の人生だったかもしれない。やっぱり周りの僕と同じ年齢の子たちが、 もうやりたいことが決まってたということが、 すごく僕にとっては大きな原動力になったというか、 自分で何とかしなきゃいけないという、 みんなもまだ全然何も決まってなくて、 とりあえず専門行くよ、大学行くよだったら、 何とかして単位取ってでも、 俺もそうするという風に流されていったのかなとは思うんですけど、 本当に生きていくという手段ですよね。 手段でお寿司屋さんに飛び込みました。
Q. カナダでの就業経験はいかがでしたか
日系のお寿司屋さんで、 大将が日本人なんですね。まだゴリゴリ昭和の大将の方で、 蹴る殴る当たり前の、 本当にこんなことあるんだ、 みたいな生活を2年くらいさせていただきまして、 めちゃめちゃ精神的には強くなりました。
お寿司というよりも、 シャリ炊きというご飯炊いたり、 サイドディッシュを作ったり、 その程度で下働きが基本的にメインでやってましたね。 そもそもお寿司屋さんに行ったのは、 自分が生活していくためということだったので、 その頃は飲食大嫌いで、 「なんでこんなことやってるんだろう」とか、 朝から晩までずっと立ちっぱなしで、 苦しい商売何してるんだろうって、 本当にイヤイヤ毎日過ごしてたんですよ。
2年ほど経って、 バンクーバーのダウンタウンで、 まだ当時1、2軒くらいしか居酒屋がなかったんですけど、 お寿司屋さんの仕事を終えて、 時々居酒屋さんに飲みに行ったり、 ご飯食べに行くっていう機会が何度かあった時に、 その居酒屋さんがすごい繁盛店で、 楽しそうだなっていうなんとなくのがあったので、このタイミングで居酒屋に行きたいなということで、 そこで働かしてくださいっていうお願いをしに行ったんですね。
その居酒屋さんがすごい繁盛店だったので、 僕そこで働いたら自分の給料上がると思ったんですよ。 そんなわけないですよ。 その分食材費もかかるし、 その分働くスタッフさんも人数多くなるし、でも忙しいんだから全員の取り分多いでしょみたいな、 単純発想ですよね。
きっと今より楽しいだろうしっていう、 何もわからない中で雇用してもらったんですけど、 人もすごく多いし、 ずっと朝から晩まで皿洗いをする環境だったんですね。 でも1ヶ月後の給料日に、「 大丈夫だ給料高いから」と思ったら、 お寿司屋さんの日より給料が低くて、 「俺何やってるんだろう」みたいな。
そう思ったりもしたんですけど、 すごく居酒屋の環境が肌に合ったというか楽しくて、 人との出会いというか、 僕の今でも兄貴分としている人がいて、 その人が当時社員さんで、 会社のNo.2みたいな副店長みたいなことをされてたんで、 自分もこういう人になりたいなっていう、 自分の中のモデルケースが目の前に現れてくれたので、 そこからだんだん飲食が好きになっていき、 その会社がちょうど僕が在籍した間に2号店、3号店とできて、 そのためにステップアップもさせてもらいながら、 勉強もさせてもらったって感じです。

Q. 起業まで道のりについて教えてください。
その頃は単純に、 僕も実家もカナダですので、 居酒屋で働いている時は、 居酒屋で一生懸命働いて勉強して、 実家の近くでお店出して、 そこでオーナー店長して、結婚して子供が生まれて、 近くに父母がいてみたいな、 そういうイメージをしっかり描いたんですね。 そのために、まず飲食店だったら、 料理が上手くなきゃダメだということで、 キッチン勉強して、ボール勉強して、 あと経営も自分でいっぱい本読むようになって勉強して、 5年ぐらいそこで在籍させてもらって、 何となく自分の中で独立してやれる自信もついたので、 社長にお願いして、「そろそろ独立させてください」っていうので、 許可を得て進むんですけど、 これ自分で始めたらもう当分休みが取れなくなるとか、 自由が利かなくはなるなと思ってたので、 そこでちょっと1個目標設定を自分の中でしたんですね。 「27歳の誕生日に独立する」っていう設定をして、 その時僕ちょうど25歳になるちょっと手前だったんですよ。 2年ちょっといろんな修行とかいろんな世界観を見て、 それでカナダに帰ってきてお店を出して、 結婚した子供とかっていう絵を描いていたので、 2年間思いっきり好きなことをやるとか、 見てみたい世界を見ようっていうので、 動いていこうと思った時に知り合いから、 「上海で働かないか」って話があって、 その時に日本人オーナーさんが上海で1店舗やって、 2号店やるから2号店のマネージャーが欲しい、 日本の飲食を教えてくれる人が欲しいっていうので、 僕は2年後に自分でやるって決めたので、 すごい失礼な言い方ですけど、「 1年だけでも最初の立ち上げだけでもいいですか?」 って言ったら、それでぜひ来てほしいということだったので、 鞄一つ持って行ってみようと。
Q. 上海での就業経験はいかがでしたか?
僕は当時2005年なんですけど、 上海って大都市というイメージだったので、 英語通じると思ってたんですよ。 だから全然大丈夫でしょうって思って、 行って空港着いたら、空港から英語が通じなくて、 タクシー乗るのもひと苦労だし、困ったなあというところで、 またゼロから言葉を覚えるんだ。 同じことを繰り返すんだみたいな。 なんとかそのお店にたどり着き、 社長さんが日本人だったので、 じゃあこの新しく作るお店頼むねということで、 始めるんですけど、 従業員の方は日本人じゃなくて 全員中国の方で、 田舎から出てきているような人たちばっかりでした。 結構大きい店だったので、 僕以外で12人ぐらいスタッフがいたと思います。結構大きめの庭があったりとかして。
Q.言葉が通じないスタッフと一緒に働くうえでどのようなことを工夫しましたか?
とにかく喋るしかなかったので、 身振り手振りと、 あと一人僕のアシスタントマネージャーみたいな女の子が、 結構日本語喋れる子なんで、 その子を介して伝えるとか、 教育をさせてもらうとか、 いう感じだったんですけど、 でもいかんせん直接喋れないので。 そこでちょっとやっぱりもどかしいなっていう気持ちだったりとかもあったんですけど、 言葉に関しては結構好きなので、それを楽しく学んでいこうみたいなのがあったんで、 本当それを1年間っていう自分で設定しましたし、 やるからにはちゃんとしないとって思ったんで、 本当1日14時間15時間お店に行って、 その後に一人で近所のバーに行って、 全然言葉わかんないけど身振り手振りで過ごすっていうのをやってましたね。 そうするとそのバーの子も、 なんでこいつ喋れないのに毎日来るんだろうみたいになって、 喋れない常連みたいな。 「一生懸命だけど喋ろうとしてるなこいつは」みたいなのを感じ取ってくれたのか、 言葉の勉強したいんだなっていうのは理解してくれたのか、 それでだんだん覚えていったって感じですよね。

Q. 一番苦労したことは何ですか?またそれをどのように乗り越えられましたか?
本当にその飲食で働いてる時に苦しいというか、 こんなにもできないんだっていう壁にぶつかったんですよ。 例えば飲食だとその日によって忙しい日や忙しくない日があったり、 洗い物が大きく残るとか残らないとか。 だから例えば就業時間も一応決まってるけど、 ちょっと洗い物あったらみんな洗って帰ろうぜ。日本でもカナダでもチームプレーでやるんですけど、どんなに洗い物が溜まってようと、 時間になった瞬間にみんな着替えて帰ったり。 全然そこに対して情熱がないんですよね。
「一緒にやるのが飲食なんだよ」、「こうやってやろう」って言ってもなかなか通じないとか。 レジからお金がなくなるとか。 自分がマネージャーしてるのにチームができないもどかしさとか悔しさがあって、 毎日もやもや、飲食人生の中でこんなにうまくいかなかったことがなくて、そこに対して悩んでたんですけど、4、5ヶ月ぐらい経ったときに、みんなともコミュニケーションは取れる。 けど飲食としてのチームはできないという中で、 ある日一人の子が、 日曜日が早くお店が閉まってたんで、食事会に誘ってくれて「店長も来るか」と。 「じゃあ行く行く」って言って、 仕事終わってみんなで行きました。
電動バイクみたいなので家の方まで帰るんですけど、 僕自身もそこの社長から家ここに住めっていうところを与えていただいてて、 同じようなところにみんな住んでるのかなと思ったら、 僕が住んでるところとは全然違うところに行って、 ぽつんと団地の一棟みたいな、4階建て5階建ての団地の一棟みたいなのが出てきて、 そこ近づいていくともう完全にコンクリートの打ちっぱなしなんですよ。 「できてないじゃん」みたいな「コンクリートの塊じゃん。」みたいな。
でもそこにみんな止めるんですよね。 夜の10時、11時ぐらいでそこ行ったら豆電球とか引っ張ってきてあって、 その団地の下で上半身裸のおとっつぁん達がタバコを吸いながら麻雀して、 その周り子供がちょろちょろしてるみたいな。 これもうジャッキー・チェーンの映画のワンシーンみたいな。
みんなそこにバイクとか止めて、その団地に入っていくんですけど、 中は大丈夫だろうと思ったら、中もコンクリートの打ちっぱなしなんですよ。 10畳、12畳ぐらいの一間で2部屋ぐらいに2段ベッドが3個ずつぐらい入ってて、 そこに十数人住んでるみたいな。 みんな田舎からカバンひとつで出てきてるんですよ。 すごい環境だなって思いました。
彼ら彼女たちの給料も当時で3万4万とかだったんじゃないかな、日本円でとかいうような感じで、 それで親に仕送りしながらやってるんだと。 そこで話しながらみんなで安いビールを買ってきて、 道端で売ってるような野菜とかを買ってきて、 1個のカセットコンロでそれ炒めて、 もう何の目柄かわかんない安いビールを飲みながらやってるわけですよ。
その環境とか仕送りしないと親が暮らせないからとかいう話を聞くと、 ちょっと何も言えなくなっちゃって黙ってたんですけど、 ただ僕も言いたいことがあったんで、「なんで君たち一緒に働きに来てて、チームとしてこういう風にやろうよって言ってやってるのに、 例えば洗い物残ってるのにみんなすぐいなくなっちゃうの」とか、 僕が思ってたことを伝えた時に、 「いや本当社長には言わないでください」と。「僕たち親に仕送りするために街に来てるのに、今の給料だけだと暮らしていけないんで、 実は仕事終わった後に、 どこどこのバーとかどこどこの深夜のところで3時間4時間働いてるんです。 だからどうしてもその時間に出なきゃいけないんです。」 なるほどねと。 僕の中ではもうぐうの音も出ない。 もうそれ言われたら何も言えないなって思いましたね。
その時に僕が思っちゃったのは、 日本で生まれて、カナダで育って、 僕はファミコンも買ってもらいましたし、 そういえばCDも買ってもらったことがあるなとか、 生活が不自由があったかというと不自由はない。 お腹空いたらご飯食べれたし、お菓子も買ってもらえた。 お小遣いももらったことがある。 っていう生活をしている中で、 どんなに恵まれてきたんだろうなっていうのをすごく思ったんですね。
こうしていろいろ辛いことがあったとしても、 自分でやりたいことをやって、自分で飲食店をやりたいんだって、 夢と希望を持って今過ごしている中で、 「君たちは将来何になりたいの?夢とか希望ないの?」って言ったら、 全員が全員、「まずちゃんと明日ご飯を食べれることが目標なんだ」って言ったんですよ。 それを聞いた時に、今自分が生まれた環境はすごくありがたいんだから、 自分が思ったこととかやりたいことを本気でやらないと、 この子たちに対して僕は失礼だなっていうのを思ったんですね。
明日のご飯食べれなくて餓死するアフリカの子たちとか、 テレビとかラジオではすごく知ってるんですけど、 本当にそういう生活環境とかやってる子たちを目の前で見たのは初めてですし、 そこに触れることによって僕の人生観とか、 ちゃんと人生を過ごそうって思えたきっかけっていうのを与えてくれた。 彼ら彼女たちが逆に僕の先生なんだなと思います。
その1日がすごい強烈に僕の中では画が残ってまして、 それでいろんなことが変わり、 次の日か次の日ぐらいにすぐ父親に連絡をして、「カナダに帰ってお店を家の近くでお店をやろうと思ったんだけど、帰らない」と。 「僕はもう東南アジアで飲食店で働いてて、 一生懸命親のために仕送りをするけど、 それでも足りないっていう子たちがいっぱいいるならば、 飲食店で素晴らしいんだよっていうことを伝えつつ、 ちゃんと飲食店でお金を稼いで、 正当に親に仕送りができて、自分がご飯を食べれる。 そんなお店を作るのをライフワークにしたいんだ」と伝えました。 そのために今上海にいて、 カナダに帰ったらまた東南アジアが遠くなっちゃうから、母国である日本に帰って、 日本で創業して、東南アジアに近い日本から東南アジアに進出するために日本に行くっていう。 本当に上海の1年間の過ごしと、 何ならたった1日のみんなとの食事会で、 人生が大きく変わったなっていうのがあるので、 その経験はすごく大きかったです。
Q. 食事会後からチームの様子は変わりましたか?
すごい変わりました。 それも分かるんで、 じゃあ「ここ俺やっておくから、 お前次の仕事、社長に内緒だよね」とか言いながらやったりとか、そうすると向こうも、 彼らも僕の気持ちは分かってくれたんで、 「今日夜の仕事ないんで大丈夫です」っていう子が現れたり、 深くその子たちを知るということが、 本当に徹底的なチーム作りになるんだなと思うので、 今のコンプライアンスもいろいろあるじゃないですか。 あんまりその内面まで入っていくのがどうだという中で、 僕はもうほんと真逆で、 メンバーたちにゴリゴリを奥深くまで入っていくのを今でもやってるっていう感じですね。

次回、ついに日本で起業し、東南アジアへ進出を果たしたJunichiroさん。そのあとに待ち受けていたコロナ禍の困難やビジネスに対する想い、将来について詳しく伺います!!
後編もお見逃しなく!!!!
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今回のThe Storiesのインタビューを見た方に、Junichiroさん経営の日本国内の型無系列居酒屋にておすすめ一品を無料でご提供!
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| 会社名 | KATANASHI Inc.(株式会社型無) |
| 代表者 | Junichiro Yano |
| 所在地 | 〒210-0006 神奈川県川崎市川崎区砂子2-7-6 3F |
| 電話 | 044-221-7220 |
| Webサイト | https://katanashi.com/ |
| 事業内容 | 日本・カンボジア・シンガポール・台湾での日系居酒屋経営 |
| 店舗案内 | https://katanashi.com/store/ |
