「カナディアンロッキーでスキーをしながら働きませんか?」人生を変えたスキー雑誌の一行/バブル崩壊からの就職氷河期を乗り越え、カナダで独自のビジネスを構築するまで

#5 Daisuke Araki / ARA Professional Travel & Support Inc.

今回のゲストは、人気旅行先カナダでオーダーメイドツアーをサポートするDaisuke Arakiさん。日本での学生時代から、カナディアンロッキーでの驚きの転機、そして旅行業界での挑戦と成功まで。逆境をチャンスに変えたDaisukeさんの誰も知らない人生ストーリーに迫ります。将来の海外起業家やビジネスオーナーの方にとって、実践的なアドバイスやインスピレーションがたくさん詰まっています。視聴後、あなたの感想や意見もぜひコメント欄でシェアしてください!
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目次

Q. まずはじめに、簡単に自己紹介をお願いします。

Araki Daisukeといいます。1971年(昭和46年)の2月生まれ、今年で54歳になります。現在はカナダのバンクーバーをベースにして、旅行会社、「ARA Professional Travel & Support」を経営しております。

Q. 出身はどちらでしょうか

埼玉県上尾市出身です。子供の頃は割とスポーツをするほうでしたね。小学校の頃は水泳をずっとやってましたし、高校になってから陸上をずっとやってましたので、種目でいうと800m1500m、一番つらい種目なんですけど、それを専門的にやってましたね。子供の頃はスポーツばっかりやってたので、あんまりあの賢くはなかったはずです。

(そのあと学生時代はずっと日本で過ごされてたのでしょうか?)

そうですね。高校は地元の上尾市にある公立の高等学校に通って、大学は専修大学の法学部におりまして、ずっと小さい頃からスキーをやってましたので、大学生活はほぼ冬のシーズンは新潟県の越後湯沢にある湯沢パークスキースクールで働いてました。スポーツばっかりやってましたね。

Q. カナダに来たきっかけについて教えてください。

僕は当時1988年~90年に渡ってちょうどバブルが崩壊して、僕らちょうど大学3~4年生のタイミングだったんですけど、ばっちりバブル崩壊に当たってしまいまして、当時やっぱり就職難だったんですよね。大卒男子が就職できなかった時期がありまして。さて、どうしようかなって考えていたときに、たまたまスキー学校で働いていた時の校長先生が置いて帰ったスキー雑誌を捲っていたら、「カナディアンロッキーでスキーをしながら働きませんか」っていう小さい記事を見つけて、これしかないなっていうので、カナダに来たのが最初のきっかけですよね。

(その時はもう即断・即決したのでしょうか?)

そうですね。最初スポーツマンだったというお話をしたと思うんですけど、実は潜在的には天邪鬼なんでしょうね。他人とあんまり同じことやりたくないっていうのが潜在的な性格にあるみたいで、実は就職活動のときも、みんなの紺ずくめの(スーツに)白いワイシャツで、就職セミナーに行っていた中で、1人ダブルのスーツで行ってみたりとか、人と同じこと、人と横並びにしたくないというか、されたくないというか、自分の中であんまり横一線に並びたくないっていうのがどっかにあって、そのカナダ行きを決めるときも、もうみんなが就職難でワーワーやってるときに、いや、俺これカナダ行くしかないよねっていう感じで、もう即自分の中では決めましたね。

(周りの方に反対されたりとかはなかったですか?)

あまり聞かなかったです。もう自分の中でもう決めちゃったら、この道だということで、はい。

大学時代のスキー学校のインストラクター仲間と

Q. 元々カナダとか外国に行きたいなっていう思いはあったんですか?

実は全くゼロなんです。パスポートも取ったことないぐらい、海外に関しては全く無知だし、見る映画は洋画はほとんど見ないし、聞く音楽も日本のアーティストばっかりで、洋楽なんてあまり聞いたこともないし、興味もなかったです。

(カナダに来る前の英語レベルはいかがでしたか?)

それを聞いちゃいけませんね(笑)

全くのゼロというかマイナスに近いですよね。大学受験するときも一番何がネックだったって英語の試験だったし、高校時代も英語なんか全く興味もないし、外国語っていうものにそもそも興味がなかったんですよね。だから当然頭にも入ってないし、カナダに来たときは、言える言葉は「Yes」「OK」「Thank you」ぐらいですよね。「No problem」とかも言葉知らなかったです。「No worries」とかも聞いたことなかったし、その3つだけ。

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カナディアンロッキーでのガイド時代

Q. カナダでの生活について教えてください。

ホテルのギフトショップで働いてたんですけど、そのホテルの寮が4人1部屋で、3人とも英語話者だったんですね。最初の1年は大変でしたけど、彼らから教わったというかね。特段、英語を学んだっていうわけじゃないんですけど、生活をしていく上で、耳から入ってったというのかな。

今思えばあの1年があったから、こうやって英語に対してフラストレーションが溜まることもあまりなかったと思うし、彼らのおかげで言えばおかげですよね。

カナディアンロッキーでのツアーガイド仲間と旅行

Q. カナダに来て日本との違いなど苦労されたことはありますか。

やっぱ言葉の壁は誰もが通る道だと思うんですよ。自分が言いたいことが言えなかったりとか、そういったことで何度もくじけたことも多々ありましたけども、今こうやってカナダに来て30年近く経ちますが、苦労したなっていうのはあまり感じてないんです。鈍感なのかもしれませんけどね。

(文化とか違うところもあると思うですけど、わりと順応性の高い感じですか?)

そうですね。基本が天邪鬼ですから、なんとでもなるかなという気持ちも性格もあるし、そういうのが全てにおいてカナダの水に合ったのかなという気はします。

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カナディアンロッキーツアーガイド時代 27歳ごろ

Q. ライフステージの変化についてもお聞きしてもよろしいですか

今は結婚してもう25年を迎えて今26年目になるんですが、彼女も元々カナディアンロッキーにいて、ロッキーで知り合ってロッキーで結婚式を挙げました。きっかけはたまたま共通の知人がいまして、「一緒にスキーやらない?」っていうところで、3人でスキーをしたのが最初のきっかけですよね。ゲレンデで一緒に3人で滑っていくうちに、「なんかこの人おもしろいかな」今まで見たことない女性っていうのかな。おもしろい人だなって思って、「今度は個人的にちょっと好きでもしませんか?」って、2人でスキーして、そこで愛を育んだという感じですね。

(奥様と出会ってご結婚されたときには、カナダに一緒に住もうってのを決めていらっしゃったんですか?)

知り合ったのがカナダに来てからお互い3年目だったかな。3年目で2年間交際をして2人がそれぞれカナダに来て5年目になるときに、元々勤めていた会社、そのときは既にカナディアンロッキーの現地ガイドをしてたんですけど、5年という節目もあるし、もう一度日本に帰ろうかなっていうのを、当時バンクーバーにいた社長に確認を取ったら、「もしお前がやる気があるんだったら、日本の支店で働いてみないか」という話をもらって、結果、当時の会社の名古屋支店に行くという話になり、そこで「行くんだったら結婚してから一緒に行かない?」ということになり、彼女も「もちろん一緒に行こう」ということで、ロッキーで結婚してから名古屋に行き、新婚生活は名古屋からスタートしたんですね。

(そこからまたカナダにまた戻ってくるきっかけとなったことは?)

結果名古屋には9年いたんですけど、やっぱり毎年4~5回ぐらいは出張でカナダに来ていたんですね。4年目あたりから、カナダに来る度に、我儘を言って日本に帰ったけれども、「あれ、なんか僕のベースってやっぱりこっち(カナダ)なのかな」って思い始めるようになってきたんですね。やっぱ空気感とかね、人との距離感とか、社長にそれを相談したら、「今お前が帰ってくるタイミングではない」とバサッと切られたんですよね。それが5年目のときですね。

もう少しタイミングを見てから、「もう少し続けてくれ」ということで、そこから名古屋支店長になり、名古屋を切り盛りする立場になったんですけども、その後4年ぐらいかな。今度はバンクーバー本社の方で新しいセクションを作るから、「お前やるか」という話がありまして、もう即決ですよ。もちろんです。奥さんにも話をしたら「それは受けるべきでしょう」ということで、バンクーバーに住むのは初めてだったんですけど、カナダに戻るという点では、戻ろうという意識でいたので、2008年の4月に戻ってきました。カナディアンロッキーで3年、名古屋で9年、だから勤続13年目はバンクーバー本社の方でスタートしました。

出会った頃のDaisukeさんと奥さん(1996年)

Q.起業しようと思ったきっかけをお伺いしてもよろしいですか。

そこから3年セクションの長をやらせていただいていたんですけども、ちょうどそのときに東日本大震災があって、2011年だったかな。当時、やっぱり日本国民というか日本国中は何となく旅行ムードではない雰囲気になってて、当然カナダに来る渡航者の方々も減ってきますよね。そうすると会社としては来年どうするかという話になり、リストラがあったりとかした中で、社長が、僕のセクションを来年以降、やらないという決断をされたんですよね。社長がやらないんだったら、僕はこのまま継続していきたい。じゃあどうするって話になったときに、僕は自分で立ち上げて自分でやらさせてもらいますって言って、社長も「お前がやるんだったら好き勝手にやれ」ということで、12月2日にその話をしたんですけれども、12月31日付で、そのまま退職しましたね。

(どのような仕事のセクションをされていましたか?)

元々の会社というのがカナダの旅行会社ではあるんですけども、「旅行会社の旅行会社」です。わかりやすく言うと問屋さんですね。例えばバンクーバー、カナディアンロッキー、ナイアガラとか、そういったところのホテルであったりバス会社であったりレストランなどと我々が大型契約をして、それを日本の旅行会社に切り分けるので、カナダのホテルが直接、日本の旅行会社とやり取りするのではなくて、実際は我々のような問屋さんがいて、ホテルからそれを大量に、例えば年間1000室販売する。その代わりこのレートを貰う。その1000室を日本の旅行会社に使いませんかという。仲介役ですよね。

それをずっと今までの会社はやっていたんですけど、そこにインターネットセクションというのを作るから「お前やるか」ってことで名古屋から戻ってきたんですけど、インターネットセクションというのは、旅行会社の先にある、日本にいるカナダに行きたいお客様と直接問屋さんが繋がるという、そこをちょっと立ち上げて、これからはインターネットの時代になるということで立ち上げたセクションなんですが、2012年以降は会社としてはやらないということだったので、じゃあそのインターネットセクションを僕がそのまま引き継ぐというところです。

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カナディアンロッキーでの氷河スキー

Q. 起業時に一番最初にしたことは何でしょうか?

弁護士さん探しですね。とにかく僕は起業すると思ってなかったんですよ。会社がやらないんだったら自分でやりますっていう、啖呵を切ってしまった以上、もうやるしかないですよね。やるしかないけれども、まず会社をどうやって立ち上げるのかっていう仕組みもあんまりよくわかってなかったので、その立ち上げに関してアドバイスをいただけるような弁護士さんをまず探して、お話を伺って立ち上げました。

(弁護士さん探しってスムーズにいきましたか?)

そうですね。人を介して、いろんな方に聞いて、「あの方がいいんじゃない」みたいな感じで、税理士さんなんかも紹介していただいて、(2011年)12月31日で雇用契約が終わり、翌年1月27日にブリティッシュコロンビア州のビジネスライセンスが郵送されてきました。だから創業記念日は2012年1月27日です。「あそこの荒木が会社立ち上げたぞ」というニュースは手前味噌ですけど、わーっと業界を駆け巡りましたね。

(集客する際の工夫されたことは?)

当時会社から独立したとき、インターネットビジネスをやってたので、しばらくは継承してやりましたね。ただ、そこから切り分けないといけませんから、人脈を介してインターネットに精通している方にホームページを作ってもらいました。

(そこからどのようにビジネスを広げられましたか?)

インターネット、Webサイトからのお客様がやっぱり多いですから、そういった販路を自分たちで広げていくのももちろんなんですけど、まだまだ認知度も低いので、日本のオンライントラベルエージェント、ベルトラさんとか楽天トラベルさんとか、そういったところと繋がりを持って、自分たちのホームページではなく彼らの土俵を借りて、自分たちのオリジナルツアーの販路を広げていきました。

Q.大切にしている価値観について教えてください。

日本の会社さんにアプローチするのは大変だったと思うのですが?

それは、元々の人脈というか前の会社で培った営業というのかな、幸いにも人脈があったので、この分野はこの人、この分野はこの人っていう人の話を聞いてやってきた感じです。日本だったらこうだろうな、だからこうしようじゃなくて、カナダにはカナダのルールがあるし、変わってたりすることもあるので、特に会計なんかは契約してる専門家の方にしっかりと聞いて、その通りにするっていうのが1番大切にしていることかな。

人は大事だと思いますね。今インターネットビジネスやってますから、もちろんオンラインでワンクリックでポチもいいんですけど、結果「人」だと思うんですね。人と喋ることは嫌いじゃないし、むしろ好きだし、そこでどういう話が転がってるかもわからないし、これはもうお客さんと話してるときもそうですね。ツアーの間に雑談をしながら、この視点でお客さんはこういうのを求めてるんだっていうのはやっぱり現場に出ないとわからないですよね。

(女性一人旅でカナダにいらっしゃってる方が行きにくいパブとかも荒木さんに相談したら、一緒に行っていただいて楽しむことができたというお声私拝見したんですけど)

我々はここにずっと住んでるから気軽にカフェだったり、気軽にパブとか入れるじゃないですか。でも、他の国に我々が行って、英語も通じない国で、小さいカフェだったり、パブだったり入れますかというとこですよね。ちょっとした勇気が必要ですよね。そこを僕らがサポートする。

常日頃考えてるのは、「1人でも多くのカナダファンを増やすこと」は常に僕の中にはあるので、カナダを好きになってもらうためには、やっぱ来てもらわないといけないわけだから、eメールなどのやり取りや来てからの対応も含めて心掛けていますね。

リピーターのお客様を連れてカナダ旅行添乗

Q.疲れたときとかストレス解消のリフレッシュ方法は何かありますか。

僕はストレスがあまりないんですよ。仕事人間なのかもしれないですけど、お客さんといるときが一番楽しいので、仕事なんですけど一緒に街散策していることがストレス発散になっているんですよね。だから、初めてその場で会うお客さんと話すことが楽しいので、あまりストレスを感じることはないですね。ただ、ツアーが年末年始だったり、ツアーが立て込んで3種類のツアーを1日でやりこなすと、さすがに3本目は疲れますね。あとは最後終わったらビールを飲むくらいです。

(スキーも続けていますか?)

実は、スキーはやり過ぎちゃって、もうお腹いっぱいになっちゃったんですよ。この15年スキーやってないですね。散策ツアーを多くやっているので、1日5~6km歩きますから、話して歩いて、だいぶエネルギーを使いますね。

カナダ東部でたてごとあざらしの赤ちゃんと(Photo by 小原玲 2019)

Q.人生を一言で言うと?

「人と違うことをやる」やっぱり人と同じことをやってちゃダメだと思うんですよね。カナダの旅行業界の中でも、やっぱりみんながみんな同じ商品を売っていたら、結局その中に埋もれてしまうので、いかにお客様のニーズを捉えて、人ができない、他の会社さんができないことをやる。そこに尽きるのかなと思いますね。

Q. 起業したての自分自身に伝えたいことは何ですか?

「自分が信じたようにやったら良いよ」迷わずに自分がこう思ったらやれば良い。ただ、やっぱりプロの意見を聞いたほうが良い。

Q.海外での起業を考えている方たちに向けて何か伝えたいアドバイスは何でしょうか?

ぶれちゃいけない。ブレブレだと最後までブレブレになっちゃうので、「これ」と思ったものは基本はぶれないようにするのがいいと思います。あとは「経験を積む」ですね。

(これから海外起業を考えている視聴者さんに向けて、今からやるべき準備やアドバイスを最後にお願いします。)

やっぱりまず「人脈」ですよね。ここが一番キーになってくると思います。結局自分で立ち上げるって素人なわけじゃないですか。だから、弁護士さんだったり、会計士さんだったり、税理士さんだったり、その道のプロの人といかに繋がっていくか、これはやっぱり自分の人脈に結局頼らないといけないので。

(荒木さんがどのようにして人脈を広げていきましたか?)

自分から人と繋がっていくって感覚はなかったんですけども、紹介であったりとか、僕はとにかく日系の会社なので、日系社会の方々と人脈が広がっていったし、会社を立ち上げるってやっぱり英語の書類とか大変なので、日本人のほうが難しい話はいいかなと思いますね。

お忙しい中インタビューありがとうございました。

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会社名ARA Professional Travel & Support Inc.
代表者代表取締役社長 荒木 大輔
Daisuke ARAKI, Director
所在地Suite 728, 602 West Hastings Street
Vancouver, British Columbia  V6B 1P2  Canada
電話(604) 558-3223 内線302(日本語)
メールtravel@arapro.ca(日本語)
事業内容旅のオーダーメイド
現地発着ツアー、ホテル、航空券手配
専用車チャーター手配
ツアーガイド手配
語学留学手配
カナダ長期滞在、ホームステイ手配
メディア・コーディネート
Webサイトhttps://arapro.ca/

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